腹を満たす余裕

「恋」は、他の何よりも憧保されるし、人々によって求められてもいる。流行りの歌のほとんどはの歌だし、ドラマや映画でも「恋愛」が出てこない作品はめずらしい。雑誌を見ても、「恋愛」はしばしば特集されるし、デートスポットの記事はかかせない。そうした「恋愛、恋愛」の大合唱の声に耳を傾けていると、誰もが「恋愛」をしなくてはいけないような気分になってくる。「恋人」がいなければ自分が劣った存在のようにも思えてくる。ましてや、「恋心」自体がピンとこない人だったら、そんな自分はふつうじゃないかもしれない・・・・・・と疑問を抱くかもしれない。
 けれども、「恋愛」への熱狂は、普遍的な現象ではない。置かない時代や社会はいっぱいあったし、いまでもあるだろう。
そもそも「恋愛」に夢中になるには、生活に余裕がなければならない。端的にいって、おなかが空いていたら「恋」どころではないのである。まず、最低限のメシをいかに確保するのかが人類にとっての最大の課題であって、腹を満たす余裕があってやっと、人は「恋愛」などにうつつをぬかすことができるようになった。キミだって空腹のときには食べることしか考えられないだろう?
だからこそ、往々にして歴史に残っている「恋物語」は、その時代、その時代の裕福な階層の人々を主人公にしたものであった。そうでなければ、青春の一時期ならともかく、ふつうの人々は日々の生活に追われていて、好きだ、嫌いだなんでいっている暇はなかった。昔は、一日の労働が終われば疲れ果てていて、たいていそんな元気はなかっただろう。
あなたはここで→出会った人に対して、自分の理想を演じずに本当の自分をぶっちゃけられますか?
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